映画「ミラノ、愛に生きる」 [映画]
なんというのか不思議な映画だった。
始まりは雪のミラノの俯瞰風景。
ミニマル・ミュージックと思われる曲がとても素晴らしくて、それだけでぐいぐい引き込まれる。
話はイタリアの叩き上げの富豪一家の奥様のお話。
ものすごくラフに言うとティルダ・スウィントン演じる若奥様エンマが
息子の友人と不倫関係に陥り、すべてを捨てて走る、という話なのだ。
ティルダ・スウィントンは上手い。
最初の頃の生気のない表情から、途中揺れ動いている際の表情、
ラストの毅然とした、でも晴れやかな表情まで本当に素晴らしい。
でもねぇ、なんというか色々と微妙な映画だったわ。
それにしてもお屋敷が本当に豪邸で素晴らしい。
結構お屋敷内部がしっかりと撮されていて、堪能できる。
お屋敷マニアにはたまらない。
こちらのお屋敷、住宅美術館として普段は公開されているそう。
◆ネッキ・カンピリオ邸 Villa Necchi Campiglio
http://www.casemuseomilano.it/it/casamuseo.php?ID=3
★★★以下、ネタバレあり★★★
しかし、いくら主演の表情が素晴らしくても細部が甘いのだ。
単なる不倫の話ではなく、女性の自立というか自我の目覚め的なことに話を持って行きたいのだろうがいかんせん足りなさすぎる。
エンマはロシアの美術品修復家の娘だったが、若くして富豪の2世である旦那に見初められて
一人イタリアへ嫁いでくる。
それ以来、ロシアでの名前も無くしイタリア風に「エンマ」と呼ばれて、
それがすっかり名前となっている。
日本で言えば、苗字が変わる、というだけでも
結構アイデンティティの喪失に悩まされる人も居るというのに
名前すら変わってしまったという状態。
いくら愛されて嫁いだとはいえ、これはかなりの打撃なのだと思わされる。
そして何故かイタリアへ来てから、1回もロシアに帰っていないという。
本当に何故?
エンマの孤独さを強調しようとしたのかもしれないけれど
あまりにも無理な設定な気がする。売られてきた訳じゃあるまいし…
そしてエンマが息子の友人(というかボートレースのライバルでもある)のアントニオと恋に落ちる描写があまりにも唐突。
アントニオはシェフでもあり、その料理を食べて恋に落ちるのだ。
エンマが美味しさに目を見張り、恍惚として食べる、その表情はいい。
だが、だからといってシェフに恋するか?
いや単にアントニオの見た目が私の好みじゃないからかもしれないけれど、何か違う。
そしてそのアントニオ。
この映画ではエンマ家族の目線から語られているため、アントニオの心情が全くわからない。
確かにエンマは魅力的ではあるけれど、店を出すために融資してもらおうと話し合っている友人の母親と不倫するか?
アントニオが何故エンマに惹かれたのかというのがまったく、本当にまったく伝わらない。
なので、ラストでエンマがアントニオを選び、家族を捨て去るシーンも
エンマとアントニオの間には未来がないとしか思えないので
女性の自立、自我の目覚めといったニュアンスも、かなり薄れてしまうのだ。
ロシアにも帰れない、家族にも戻れないエンマは自立もできずに終わりそうなんだよね。
単に「自由になりました」っていうことなら、それは◯。
でも自由になって終わりってことはない。
そこがあまりにもキレイ事で終わっている気がする。
そして一番つめが甘いと思うのは、エンマの長男エドの描写。
エドは長身でイケメン、美人のお嬢様彼女も居る。
そしてエンマとはロシア語で秘密の会話をしたりして、いかにもマンマ大好きなイタリア男だったりする。
このエドの友人がアントニオなのだ。
アントニオは家族で小規模ながらそこそこ高級そうなレストランをしているが、父親と意見が合わず自分の店を持ちたいと思っている。
それをエドが融資して手助けしようとしている状態。
ボートではライバルでも、それ以外では良き友人なのだ。
妹のベッタが実はレズビアンで、そのことを家族の中でエドだけに相談していたりする。
そして祖父が会社から引退する際には、父親(エンマの夫、タンクレディ!)とエドに譲ると名指しされたりする。
たぶんそれだけエドは愛されているのだろう。
でも他の家族にとってもエドが後継者に指名されるのは想定外。
弟のジャンルーカは、エドより先に家業を手伝っているらしいので
実は結構な打撃と思われる。
そういう意味ではジャンルーカは色々と蚊帳の外っぽいのだが、
実は会社ではしっかり立ち位置を確保しており、会社をオイルマネーに売り払うのも
祖父亡き後、父親のタンクレディとジャンルーカが画策しているようなのだ。
と、ここで実はエドのほうが蚊帳の外だったと、状況が反転する。
ここからのエドの落ちっぷりが、あまりにも悲惨で
可哀想過ぎるんだよねー。
会社のことで悩んで母親に相談したくても、母親は息子の友人と不倫している後ろめたさかまったく連絡をしてくれない。
しかも会社は結局オイルマネーに売られてしまう。
友人であるアントニオもなかなか会ってくれない。
結婚はしたけれど、孤立無援風なエド。
昔からのお手伝いのイダに母親への手紙を託し、思い余って泣いてしまう描写で
「これは自殺フラグ、きたか?!」と思ってしまう。
ま、カトリックだろうから自殺はないだろうけれど、間違いなく死亡フラグ立ったなって状態。
分り易すぎて、ちょっとねぇ。
そして会社売却のためのパーティで、雇われたシェフはアントニオ。
アントニオはエンマにも内緒で、エンマから聞いたエドが好きなロシアのお魚スープ(ウハー)を出す。
これを見てエドは、アントニオとエンマのつながりに気づき
エンマとの絆が断ち切られたように感じるのだ。
ここまでの展開が本当に早い。
そして結局エドはエンマとの口論中に転倒し、頭を打って死亡してしまう。
うぁぁぁぁ、死亡フラグたっていたとはいえ、悲しすぎて惨めなエドの死。
わかりやすい展開だなーと思いつつ、ちょびっと泣けた(苦笑)
ちなみにジャンルーカより重要なのは、妹のベッタ。
最初に出てきたときはロングヘアのいかにもなお嬢様風。
しかし彼女は家を出てロンドンに留学した際に、超ショートカットになって帰ってくる。
服装もボーイッシュなもの。
そして母親にもレスビアンだということを打ち明けるのだ。
この時にはエンマはもう不倫中なので、動揺することなく受け入れる。
ラストでエンマが家を出るときにも、協力するのはお手伝いのイダ。
お手伝いなんだけれど、同志的な結びつきのあるエンマとイダという描写もいいし、
そして何もしないけれどしっかりとエンマを見て、見送ることで応援するベッタもいい。
ここら辺の描写も好き。
ただ、エドがイダに渡した手紙はどうなった?とか
エドの新妻はまったく蚊帳の外すぎるとか、本当になんというか細部が適当なんだよね。
あ、ちなみにこちらの映画、エンドロール後に
洞窟のようなところでまどろんでいるエンマとアントニオで終わる。
原始人か!と肩透かしをくらって終わり。
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