映画「紙の月」 [映画]
ドラマ版を途中まで視聴していたので展開の早さに驚いた(笑)
夫はドラマ版ほどモラハラ男ではなく、ありがちな男理論優先タイプ。
80年代から90年代初めならばあれくらいの男性は極普通だったように思う。
もちろん悪意はなく、チクチクと嫌味を言っているわけでもなく
ごく自然に「女の稼ぎは当てにしない」「妻の仕事は家事。妻のパートは妻の息抜き」程度にしか思っていないのだ。
まぁ今の御時世からしたら、時代錯誤な考えとしか言い様がないけれど
今あの頃のトレンディドラマ辺りを見たら、ゴロゴロしている描写なんだよね。
だからこそリカの駄目さが際立つ。
何をどうしたいということも夫に伝えられず、仕事の楽しさ、やりがいもすべて自分の中に仕舞いこんでウジウジとしてしまう。
まぁこのリカの描写も典型的といえば典型的なのだろう。
専業主婦が当たり前、結婚したら子供がいて当たり前、主婦の仕事は責任感のない仕事のみ、というお仕着せに縛られている。
でも夫の協力なしに子供はできず、それ故、居場所が見つからない。
居場所を仕事に求めるというは、ある意味正しいと思うのだが、途中で横道(男)に逸れていくのだ。
でも映画版ではリカの友人はばっさり割愛されているので、横道にそれるしか道がないという感じも漂う。
そしてリカの年下の男の子(と言ってもいいような子供っぽさとずる賢さを持つ)との接し方にダメさが凝縮している。
誰が見ても、ああこれはダメ男の育て方だよなぁと思ってしまうだろう。
そして夫が単身赴任した後は転げ落ちるかのようなふり切れっぷり。
小奇麗にしていた家はどんどん荒んでいくが、偽造工場のようにシステマチックにもなっていく。
あ、懐かしのappleの箱を見て「良くきれいな箱残っていたなー」と思ってしまった。
マニアが取っているのだろうけれどね。
しかしバーンと椅子投げして「一緒に行きませんか」はシビれる。
お金からもしがらみからも逃れて自由に疾走するリカは作中一番輝いていて、このシーンのために映画ができたとしか思えない。
が、その後の逃亡先での寄るべない姿との落差が、非現実的な疾走シーンから現実へと引きずり戻す。
リカ役の宮沢りえが、とっても良かった。
小奇麗だけれどどこか寂しげな(ほぼノーメイクのような見た目)風貌から
バブリーなくっきりメイクになり、服装も徐々に派手になっていく。
その変わりようが意外にもかなり自然だった。
映画版で作られたキャラのちゃっかり若手窓口係の相川役は、正直誰が演じても同じような感じではないだろうか?
これまた映画だけのキャラの厳格銀行員の隅役の小林聡美は、リカとの対決シーンが特に印象に残った。助演女優賞なら隅役のほうが良かったと思うのだけどなぁ。
リカを切って捨てつつも、リカが枠を軽々と飛び越える様子を目の当たりにして心が揺らぐ様子が素晴らしかった。
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